加害恐怖と向き合ってみる
私が患っている強迫性障害についてすこし書いていきたいと思います
強迫性障害にはいくつか分類があって汚染恐怖や縁起恐怖、数字恐怖、確認行為、私が患っている加害恐怖などがあげられます。
私の症状は加害恐怖がほとんどであとはガスの元栓の確認といった確認行為がすこしある程度です。
もう10年以上前に発症したのですが発症当初は
車を運転してて段差を乗り上げたり、人の横を通ったりするだけで人を引いたのかも、と思い何度もその道を往復したり、次の日の新聞に事故のことがかかれていないか確認したりしていました。
また大切なメモを捨ててしまったのではないかと一旦捨てたゴミ袋をまた広げて確認したり、お店に入ると万引きしてしまったのではないかとカバンの中身を何度も確認したりしていました。
今は多少そのようなこともありますが前ほどではありません。
では良くなっているのではないかと思われますが実は今が1番ひどいかもしれないです
上記のような加害恐怖が減った代わりに、過去自分がしてしまったことに対して加害恐怖が出現してるのでやっかいです。逮捕されるのではないか、損害賠償を請求させるのではないか、一般の方に聞かれたら笑われるかもしれませんが本当にそう感じてしまうのです
今は過去をひたすら遡り、色んなことに対して加害恐怖がでてきているので本当につらいです
うつを併発してるので余計にしんどいのかもしれません
死にたい、そう思う希死念慮も毎日のように出てきています
今朝も仕事場のベッドでふと加害恐怖が浮かんでいました。そのとき恐怖とはなんだろう…という思いが出てきました。
恐怖と不安は似ているものですが明確な対象に感じるのが恐怖だそうです
その恐怖を作り出してるのはなんだろう…とふと思いました。おそらく脳🧠ですよね。
脳がまるで実体のあるように見せかけているのが恐怖。だから本当は実体なんてものはないんだとすこし思いました(前から頭ではわかってるんですけどね)
そして私はこれまで恐怖から逃げるためにスピリチュアルを学んだり、悟りを学んだりしていたんですよね。スピリチュアルや悟りが恐怖を克服する『手段』になってしまっていた。
本当はスピリチュアルや悟り的な生き方が『目的』なのに…。手段と目的が逆になっていたんですね。
恐怖は逃げても逃げても追いかけてきます
まるで自分の影のように…
だから今度は、すごい長い時間がかかりましたが向き合ってみようと思います。恐怖と…。
すごい怖くて余計に悪化しそうな気もしないわけでもないんですが(笑)
この向き合うというのは強迫性障害の治療における暴露反応妨害法(たとえば手を洗いたくても我慢するなど)に似てると思います
ただ難しいのは我慢、向き合うものが強迫観念(思考)という実体がないものということです
正直立ち向かう方法が思いついてないのですが私の加害恐怖の場合、立ち向かうというよりそういう思考がでたときに受け入れるという感覚になるのでしょうか。
たとえば逮捕されるかも…
いや大丈夫❗️そんなことならない❗️ではなく
そおかもしれない…という風に。
これ、めちゃくちゃ怖いですけどね😱
とりあえず今のままだとどんどん負のループに入っていきそうなのですこしの間頑張ってやってみます❗️
それではまた😃